philosophy出会えた人たちと
「安心」と「楽しい」を
いっしょに

ゆずりはのはじまり Start

ゆずりはは、児童養護施設や里親家庭など社会的養護のもとを巣立ったひとたちを対象にした相談所です。2011年の4月に開所しました。運営母体は児童養護施設と自立援助ホームを運営する社会福祉法人が担っています。私たちがゆずりはを立ち上げるに至った背景には、自立援助ホームのスタッフをしていた頃に出会った子どもたちの存在があります。(自立援助ホームを利用する子どもたちは、なんらかの理由で親元を離れなければならず、自ら働き収入を得て生活を担っていきます。自立援助ホームの利用は義務教育終了後の15歳から20歳まで(場合によっては22歳)が対象になっており、就労や通学をしながら安定した生活を目指しています。)自立援助ホームに辿り着いた多くの子どもたちが虐待や貧困家庭で暮らしてきた子どもたちでした。「死ぬことができなかったから」「家に帰って親に殴られるよりはまし」「援助交際をやり続けるよりは、ここでいい」など、自ら望んで入所してくる子どもは1人もおらず、生きていく場所として自立援助ホームにたどり着いた子どもばかりでした。

出会った頃、子どもたちは「大人はみんな敵」「自分が助けてほしかった時に、誰も自分を助けてくれなかった。」と、社会や大人への怒りと憎しみ、諦めでいっぱいでした。自分を愛してほしかった、大切にしてほしかった、家族と笑って過ごしたかった、、、深い傷つきと共にある悲しみや寂しさから自分を守るためには、怒りのベールを纏わせて気持ちをぶつけたり、、感情がないように振る舞ったり、自分の本当の気持ちを押し殺すことでしか生きる方法を持つことができませんでした。虐待や不適切な養育、暴力と支配が蔓延する家庭で恐怖と不安、苦しみのなかで生きてこなければならなかった子どもたちが、支配や暴力のない生活には、安心や、自由や、楽しいがあることを共に生活するなかで感じ育んでいくことを大切にしてきました。そして、安心できる暮らしと、安心な人間関係のなかで、表情に穏やかさや輝きが心と体が回復していく姿を見てきました。

しかし、一方で、ホームを巣立った後、子どもたちが、ひとり暮らしを維持していくことの過酷さも目の当たりにしました。ブラック企業と呼ばれるような過酷な労働環境で働かざるを得ない、突然逮捕される、多額の借金を背負う、パートナーからのDV、精神疾患を患う、経済的な理由から性産業の仕事に就かなければならない、予期せぬ妊娠や出産、ホームレス状態になる、犯罪を犯して刑務所に入る、・・・。

もちろん、ホームを巣立った子どもたち全員ではないけれど、このような状態に陥ってしまう退所者は少なくありませんでした。ともに暮らしているときだけにケアの焦点をあてるのではなく、暮らしが別々になっても、むしろ、暮らしを共にできなくなるからこそ、安心して相談できる関係を築きたいと切に感じました。アフターケアの一歩はここから始まりました。

ゆずりはの活動 Action

ゆずりはは、児童養護施設や里親のもと巣立った人を対象にした相談所としてスタートしましたが、現在は、社会的養護を巣立った人たちのみならず、虐待や貧困等の理由から親や家族を頼れず孤立している人たちも対象にしています。住まいや、仕事、病気、様々な困りごとの相談を受け、生活保護の申請、通院の同行、不動産屋への同行等をしています。ひとりひとりの相談者の困っている状況や気持ちに寄り添いながら、サポートできる手続きや申請をしたり、共に過ごす時間を大切にしています。個別の相談対応の他に、ゆずりはの場所を拠点に、気軽に集えるサロンや、働く場としてゆずりは工房でのジャムづくり、高卒認定資格取得の無料の学習会、みんなでごはんの会、子どもへの不適切な行為をやめたい親のプログラム「MYTREEプログラム」なども実施しています。「自分なんか生まれてこなければよかった」「生きている価値がない」と苦しみを抱えているひとたちが、出会い、つながり、安心できる時間を積み重ねていくことで、自分の暮らしを楽しみ、大切にできる気持ちが芽生え育まれていくことを大切に活動をしています。

社会的養護を巣立つ子どもたちが
困難な状況に至る背景
Background

児童養護施設など社会的養護のもと、巣立った子どもたちの多くは、巣立った後も、親や家族を頼ることができません。生活の一切を自らで担い、働き、収入を得て日々の生活を維持していかねばなりません。セーフティネットとなる親や家族が機能していないことで、失敗することも立ち止まることもできない暮らしを強いられます。社会的養護を必要とする多くの子どもたちの背景に虐待の被害や深刻な貧困があります。虐待のトラウマが起因する精神の不安定や、精神疾患の発病等の症状によって、社会生活を円滑にすすめていくことは容易ではありません。社会的養護退所者も調査等からも、施設退所者の低学歴、離職率、生活保護率の高さがうかがえます。そして、多くの退所者が孤独・孤立感を抱え、可視化しづらい幾重にも重なるハンディを背負うなかで、生活破綻に陥るケースは少なくありません。

社会的養護を巣立った子どもたちが困難な状況に陥りやすい背景の一つとなる、虐待のトラウマは、暴力や暴言をふるう親と離れたからといって、消えてなくなるものでありません。トラウマによって、人とコミュニケーションとることがとても怖くなってしまったり、フラッシュバックが起きるなどの症状に苦しめられているひとは少なくありません。また、成人してからも、暮らしの営みには、親や家族との関係が切り離せません。就職、進学、入院、手術、不動産関係をはじめとするあらゆる契約・手続きにおいて、親や家族が保証人・緊急連絡先になることを求められます。そこでは親や家族と円満な関係であることが前提とされています。親や家族との関係が安心であれば、大きな問題や負担はなくスムーズに進む手続きも、そうでないひとたちにとっては大きな負担となるのです。

ゆずりはに
たどりついてくれたひとたち
Visit

ゆずりはの相談者実数は年間で500人にのぼります。スタッフ6名の小さな相談所ではありますが、苦しい状況でなんとか生きている人たちが、勇気をもって、見ず知らずのわたしたちに相談してくれています。

【京子さんのケース】
京子さんは九州の児童養護施設で育ちました。彼女が生まれてまもなく両親は離婚し、母のもと育つことになりましたが、母はすぐに病気で亡くなりました。その後父にひきとられ、彼女が施設に保護される7才までは、父と2人で簡易宿泊所を点々としながら生活をしました。時には公園で野宿することもありました。父との放浪生活の期間は、幼稚園や保育園、学校に行けず、食事がまともに食べられない日もありました。父を助けてくれる家族はなく、助けてくれる支援もありませんでした。父はどこに支援を求めていいのかの知識もなく自分たちが支援を受ける権利があることさえも知りませんでした。その後父が窃盗で警察に捕まったことで、京子さんは児童相談所で保護をされ、児童養護施設で暮らすことになりました。父は刑務所に行き、父以外に頼る人のいない京子さんにとって生きる場所は施設しかありませんでした。施設では屋根のある家に住み、お腹いっぱいごはんが食べられ、、布団で眠ることができました。あたりまえの暮らしが施設にはありました。でも京子さんは施設での生活のなかで、「お父さんと暮らしたい」と思わない日はありませんでした。住む場所や、食べるものや、着るものは満たされても、自分の心のなかにある寂しさは変わらずありました。お父さんを想って胸が張り裂けそうになることが何度もありました。父親が刑務所に行ったことで父との面会交流などは断たれたまま卒園に至りました。京子さんは児童養護施設を卒園した後、住み込みで旅館で仕事をすることになりました。京子さんはその旅館で10年働き続けました。ほとんど休みのないような労働環境で体を壊し、退職を迫られました。貯金もない、身寄りもない、施設を頼ることもできなくなっていた彼女は、たまたま新聞記事でゆずりはを見つけ相談にたどり着いてくれました。

京子さんがゆずりはに相談してくれた時は30歳を迎える頃でした。自分が巣立った施設に相談することができなかったのは、迷惑をかけたくない気持ちや、施設が住んでいる場所からあまりに遠いために、相談しても職員は困ってしまうだろうと思ったこと、退所してから10年も経って、解雇されて一文なしという状況を伝えることが恥ずかしい気持ちもあったと伝えてくれました。京子さんは自分の心と体を駆使するような生活を長年強いられてきたので(にもかかわらず、給与は生活がギリギリ送れる程度の薄給でした)。生活保護を受給し、精神科と整形外科への通院を数年しました。心身が回復したのち、安定した雇用先での仕事を得て、今穏やかに生活をしています。

「私も苦しかったけど、自分の子どもを野宿させなければならない父はもっと苦しかったと思う。私たちの社会はいつも、親がどうか、家族がどうか、家庭がどうかを厳しく問うけれど、自己責任の追求の前に、苦しんでいる大人、子ども、親子にとって、この社会が安全で安心できる•信頼できる場所となってほしい」これは、京子さんがおりにお触れて伝えてくれた言葉です。

社会的養育を
経験していない子どもへの支援
Support

社会的養育経験者へのアフターケア事業を通じて、社会的養育の保護に至らなかったり、施設入所には至らず一時保護所か家に帰されたひとらの相談が数多く寄せられている現実があります。虐待などの児童期に受けた被害や貧困、障害、疾患等の要因からくる困難を背負っているのは社会的養育経験者に限られません。社会的養育経験の有無は困難が児童期に発見されたかどうかの違いに過ぎず、本人が選択できる制度ではありません。支援が必要だったにもかかわらず、制度を利用する機会を提供できなかった可能性もあります。社会的養育経験のない人を排除するのではなく、制度の対象者として必要な支援を届けていきたいです。こども時代に置き去りにされて必要な支援を受けられなかったことによる苦しさやに寄り添ったケアを出来るような制度が望まれます。

「自立」をもう一度考える Independent

社会的養護では、「巣立ち」や「社会で生きる」時期を一律に強いています。
私は自立援助ホームで働いていた頃、時期がこれば、否応なしに退所せざるを得ないを子どもたちに、「自立」という言葉を乱用してきました。退所や卒園が「自立できた」ではないのに、退所すると同時に、「社会生活を営める力」が備わるわけではないのに、「自立」という言葉ばかりを先行させて、子どもの本当の気持ちや思をが置き去りにしてきました。

啐啄同時という禅の言葉があります。「啐 そつ」は雛が内側からたまごのからをつつくこと、「啄 たつ」は親鳥が外側らつつくことを言うそうです。雛は自分のくちばしでたまごの殻をつつき、自分で自分の殻を割って生まれてくる。親鳥は雛に合わせて、補助的に外から殻をつつく。親鳥が先に殻をつついて破っては、雛は生まれられない。親鳥と雛のタイミングが合うと、雛がスムーズに生まれる。

「自立だ」「巣立ち」だと私たちが子どもたちに促しているタイミングは、本当には子どもたちが、巣立つ準備ができている時ではなかったことを子どもたちとの出会いのなかで気付かされました。しかし、現状として、制度の枠組みを全て取り払うことは、難しい現実があります。その現実のなかで、不安がなるたけない状態での暮らしのはじまりを目指しながらも、「不安があっても大丈夫」「不安があって当然」という見送りができたらと私は思います。
「ひとつ屋根の下で共に生活する」という暮らし方は変わっても、繋がりと関係は変わらずあって、何かあればいつでも相談できるという安心が、退所した子どもたちが社会で孤立しない大切なお守りになると思います。

生きてきてくれて
ありがとう

虐待や不適切な養育環境により抱えさせられた困難や障害は大人になれば、「自己責任」の一言で一掃されてしまいます。生きづらさや苦しみを、今も抱えているかつての子どもたちには、「守られなかった子ども時代」「子ども期を子どもとして生きられなかった」背景があります。

支援の積み重ねのなかで、人が生きていくうえで、子ども時代がどれほどかけがえのない時間なのかを思い知らされます。巣立ちを控えた子ども、巣立った子ども、それぞれに真摯に耳を傾けていくことが、社会的養護のもと育つ子どもたちのみならず、すべての子どもたちが安心して生きていける社会になっていくヒントやアイデアをくれると思います。

どんな家庭で生まれ育っても「生まれてきてよかった。生きてきてよかった」と、誰もがそんなふうに思えることが本当に幸せな社会だと思います。

わたしたちのもとにたどりついてくれた子どもたち、苦しい子ども時代を生きてきて大人になったひとたちに、勇気を持って声をあげてくれたこと、生きてきてくれたことへの尊敬と感謝をどんな時も忘れずにいたいです。「生きてきてくれたから出会えたよ。ありがとう」

その気持ちを心のまんなかにおいて、これからも出会えた人たちと安心と楽しいを育んでいきたいです。

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